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メダル獲得は、小学3年生のときに思い描いた結果です。

Power Message from 太田雄貴

2008.10.23

"いい勘違い"をしたから、続けられた

小学3年生からフェンシングを始めたそうですが、「楽しい」と思えるようになったのはいつから?

「始めて半年くらいのころにフェンシング大会に出場し、いきなり優勝することができたんです。それからですね。それまでは『父親にやらされている』という感じがあったのに、優勝した瞬間、『自分はフェンシングに向いている! フェンシングは僕のためにある!!』と、"いい勘違い"をすることができました(笑)。1週間前には勝てなかった相手に1週間後は勝てるようになり、2ヵ月後にはもっとラクに勝てるようになり……と、段階的に強くなっている自分を実感できるようになってからは、練習にも打ち込めるようになったと思います」

ほかのスポーツをしたいと思ったことは?

「ないですね。小学生のころは、フェンシングだけではなく、スキー、陸上、水泳など、いろいろな競技を経験しましたが、父親は『フェンシングで勝つための運動能力を向上させるため』に、ほかの競技を僕にやらせたようです。小学6年生くらいにはすべてをやめて、フェンシングが本命になりました。今ではそれでよかったと思います」

小学生のときから、オリンピックを目標にしていた?

「今の自分は、メダルの色こそ違いますけど、小学3年生のときに思い描いていた絵図どおりですね。自分に自信があったわけではありませんが、当時から『メダルは獲れる』と思い込んでいました(笑)」

厳しい練習に耐えることができたのは、その『思い込み』があったから?

「僕は『日本人ではまだ誰もやったことがない』と聞けば聞くほど、『それならオレがやってやろう!』と思えるタイプなんです。だから、『日本で初めてのメダルは僕が持ってくるんだ!』という強い気持ちが支えてくれたのはたしかです。世界に参戦したばかりのときも『こんな連中に勝てるわけないよ』と壁を感じたこともありますけど、でも一方で、『何年かかっても追いつこう』、『キツイ練習にも耐えていこう』と燃えてきたんです。要は、負けず嫌いなんですね(笑)」

太田雄貴選手 太田雄貴選手

12年間、毎日続けた練習をついに休むことに

「練習を休んで遊びたい」と思ったことは?

「何かを得るためには、何かを犠牲にしなければいけない、と僕は思っています。青春のすべてをフェンシングに捧げてきたわけですから、高校生らしいこと、大学生らしいことはさほどしていません。でもそのかわり、逃げなかった。僕は"自己実現欲"が人一倍強いので、目標のために『何かを犠牲にすること』は、仕方のないことだと思うんです」

では、練習を休んだことは一度もない?

「ところが、大学2年の終わりに、練習を休んだことがあります。1年くらい勝てないシーズンが続いて、そのなかでずっと我慢しているところがあったんですけど、ついに我慢しきれずに……。アテネオリンピックを経験して、別に勝ったわけでもないのに、それから先の目標が見出せなくなってしまい、惰性でフェンシングをする時期が続いたんです。小学3年生から毎日練習していた記録が、そこでストップしました」

練習を休むことに不安はなかった?

「ありました。けれど、『惰性で練習しても意味がないんじゃないか』って……。そのときの僕は、『うまくなりたい』という気持ちを持てず、向上心もなくて、現状を維持するだけでいっぱいいっぱい。"勝ちたい"という思いより"負けるのが怖い"という思いのほうが強くなってしまい、"守り"に入ってしまったんです」

立ち直るきっかけは?

「2006年の学生選手権で負け、『世界で勝てないばかりか、とうとう日本の学生にも負けた』と思ったとき、失うものがなくなって、開き直ることができたんです。そこからですね、『もっとうまくなりたい!』と思えるようになったのは……。一度落ちたからこそ、再び上がることができたのだし、落ちたことによって、自分の人生が劇的に変わったと感じています。人は開き直ると、ほんとに強くなれるんですよね。その後のアジア大会で優勝をして、久しぶりに" 勝つ喜び"を感じた気がします」

太田雄貴選手 太田雄貴選手

「ぶっつけ本番」の調整法で、銀メダルを獲得

コンディションづくりで気をつけていることは?

「大学に入るまでは、1回も懸垂ができないほど体を支える筋力が弱かったため、筋力トレーニングは定期的に行なっています。とはいっても、自分の体を見渡したときに、まだまだ脆い部位がありますから、アップをしっかりやったり、ケアをしたり、サプリメントを摂ったり、気をつけるべきことはたくさんありますね。4年後、ロンドンオリンピックのときには、26歳。年齢的にも勢いだけではいかないので、ケガをしないコンディジョンづくりは大切です」

北京オリンピックに臨む際、コンディションは万全でしたか?

「実は、北京オリンピックでは、今まで行なったことのない。ぶっつけ本番の調整法を試してみたんです。なにしろ、オリンピックの1ヵ月ほど前まで『剣を握っていない』んですから……。シーズンが終了したのが2ヵ月前で、それからすぐにフィジカルトレーニング。自体重だけの基礎トレーニングから始め、およそ1ヵ月間、剣を持たないトレーニングに取り組みました」

なぜ、今までやったことのない、ぶっつけ本番の調整を?

「2008年に入ってからは、ワールドカップでベスト8に3回入っただけで、表彰台の上には一度も上ることができませんでした。ランキングも10 位。ですから、今までどおりのことしかやっていなかったら、たとえ100%の力を発揮できたとしても、せいぜいベスト8止まりだったと思います。だから、言葉は悪いですけど、『博打を打つしかなかった』んです。"ダメもと"で『勝つか、負けるか』、どっちかしかなかったんですね。でもその結果、4年に1度のわずか数時間にピークを合わせることができました。コインの裏表を3回連続で当てることができた感じですね(笑)」

銀メダルという結果には満足していますか?

「素直に喜んでいいと思います。負けたのは悔しいですけど、冷静に考えると、あの対戦表では銀メダルが限界だったかもしれませんね。僕はクライブリンク選手(決勝の相手)よりも1試合多く戦っていますし、対戦相手も猛者ぞろい。タフな試合ばかりでしたから」

今後の目標は?

「競技者としては、ロンドンオリンピックで金メダルを目指します。ロンドンオリンピックまで、気持ちの上でも体力の上でも、今の調子を維持できるとは限りません。落ちることも、負けることもあるでしょう。ただ、それでも青写真は描けているので、自分らしく戦っていくだけですね。それから、競技者としてではなく、社会貢献や奉仕といいますか、『フェンシングを通じて役に立てること』を明確にしていきたい。『フェンシングの普及に尽力すること』も、『子どもたちにフェンシングの楽しさを伝えること』もそうでしょうが、銀メダルを獲ったからこそできることがたくさんあると思うんです」

最後に、ウイダーのサポートについて感想を聞かせてください

「ウイダーブランドを背負うことは、僕にとって大きな"誇り"です。周囲の目も変わりますし、それだけ、言動にも責任を負わなければなりません。けれど、ブランドにふさわしい選手になろうという意識が、自分の自信にもつながっていくのではないでしょうか。サプリメントならお金を出せば誰でも買えますが、"誇り"は買えません。高校3年生のときから身に付けているウイダーのロゴは、日の丸以上に価値のあるものだと感じています」

太田雄貴選手 太田雄貴選手 太田雄貴選手

太田雄貴プロフィール

1985年11月25日生まれ。滋賀県出身。同志社大学卒業。小学校3年生のとき、父親(高校時代にフェンシングを経験)から「スーパーファミコンを買ってもらう」条件でフェンシングを習い始める。わずか17歳にして全日本選手権を制覇。全日本代表チーム合宿には、高校2年時からすべて選ばれている。2004年のアテネオリンピック代表(当時の日本人過去最高9位)。同年のワールドカップで、日本人として初優勝。2008年北京オリンピックでは、日本フェンシング史上初となる銀メダル(男子フルーレ)をもたらした。

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太田雄貴選手

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