ウイダーの歴史

森永製菓の健康事業として育ったウイダーブランドの歴史

1983年 健康事業部新設

「健康事業」への挑戦。

1983年4月、森永製菓は、"健康志向の高まり"に貢献すべく、新規事業に着手。
「すこやかな心と体づくり」のための商品とノウハウの提供を目的とする「健康事業部」を新設した。
「健康事業」は、まったくの未開発分野。それでも、「おいしく、たのしく、すこやかに」を企業理念に掲げる森永製菓にとって、時代の潮流を捉えた「健康事業」の展開は、欠かせない責務であった。

1983年 アメリカ・ウイダー社と業務提携

「食を制した者が勝者になる」。

「健康事業」のノウハウを持たない森永製菓は、1983年10月、ウイダー社との業務提携を発表した。
ウイダー社(アメリカ)は、創始者「ジョー・ウイダー」に由来するブランド。
ジョー・ウイダーは、「ボディビルの神様」と称され、「ミスター・オリンピア」(国際的なボディビル大会)主宰するほか、数多くのアスリートや一流トレーナーを育てた功績を持つ。
ジョー・ウイダーは、次のように提唱している。「食を制した者が勝者になる」と……。

1984年 ウイダーブランド・サプリメント発売

ウイダーサプリメント、販路拡大。

この年から「健康事業」が本格的にスタート。
「ウイダーブランド」は、始めに「プロテインパウダー」を中心とした18品目を発売。スポーツジムを通じて販売を進め、1985年2月には、スポーツ店ルートへ販路を拡大した。

※当時の健康事業部は、「ウイダーブランド」に加えて、オリジナルブランド「ウェルドゥ」(1984年2月発売)で「レトルトパウチのおかゆ」等を展開し、また以前から「森永ブランド」として販売されていた「森永ローヤルゼリー」を基幹商品に据え活動を行っていた。

1985年 『トレーニングバイブル』発行

ソフトノウハウの展開。

森永製菓の健康事業路線は、単にブランド商品を販売するだけでなく、「ソフトノウハウの提供」を一体化させたところに特徴があった。
その具体的な形として、1985年8月、スポーツマンのための栄養とトレーニングの書『トレーニングバイブル』を発行。
ウイダーのトレーニングシステムは多くの支持を受け、『トレーニングバイブル』の初版5,000部(定価3,500円)は、わずか3ヶ月で完売した。

1986年 本社ビルに「ウイダーハイテクラボ」開設

本社ビルに備わるハイテクの施設。

出版媒体による情報提供に留まらず、さらに一歩進んだ事業展開を推進。
1986年6月、本社ビル3Fに「トレーニング指導」と「栄養カウンセリング」行う、現在のトレーニングラボの前身となる拠点を立ち上げた。

1986年 「ハイテクラボカー」登場

遠隔地におけるスポーツ選手の「筋力測定」と「トレーニング指導」を直接的に行うため、大型パネルトレーラーにコンピュータ制御の測定マシーンを搭載した「ハイテクラボカー」を投入した。
88年には2台目を投入。高校野球チームを主体にしながらも、広範囲かつ様々な競技の選手をサポートした。

1987年 『マッスル・アンド・フィットネス』翻訳版発行

フィットネス先進国から届く最先端情報。

ウイダー社がアメリカで発行していた、トレーニング&栄養情報の専門誌『マッスル・アンド・フィットネス』の翻訳版を発行(隔月刊誌)。
トレーニング学、スポーツ医学、栄養学などの専門情報をわかりやすく解説する本書は、日本でも高い評価を得る。1988年7月からは月刊化され、フィットネス文化の啓蒙・普及に貢献した。
また、同年11月には、日本ボディビル界の要人を率いて、「ウイダーロサンゼルスツアー」を実施している。

1988年 ソウルオリンピック候補選手の食事分析・指導実施

「体づくり」を総合的にバックアップするウイダーは、スポーツ専門分野での評価と実績を重ね、1988年6月には、ソウルオリンピック候補選手(10種目・102名)の食事分析と指導を行った。
その分析結果は、同年12月に開催されたJOCコーチ会議に提出された。
これによりウイダーは「近代的で信頼性の高い内容」と広く認められることとなった。

1990年 「大阪万博トレーニングセンター(旧ウイダートレーニングラボ大阪)」開設

1990年4月、千里万博公園陸上競技場に「大阪万博トレーニングセンター」を開設した。
西日本にも拠点を得たことで、ウイダーによる日本のトレーニング分野の開拓は加速した。

1991年 「NSCAジャパン」のファウンディングスポンサーに

「体づくり」の世界的権威として。

1991年4月、ストレングス&コンディショニングの世界的権威「NSCA(The National Strength and Conditioning Association)」の日本支部設立に参画する。
ウイダーは、「スポーツの競技力向上」と「障害予防」を目的とする啓蒙活動に尽力。
団体の中心的存在としての役割を際立たせた。

1991年 「森永スポーツ&フィットネスリサーチセンター」開設

勝利に導く科学的アプローチ。

ウイダー社と提携以来、スポーツ栄養補助食品の展開に併せて、ハイテクラボカー、栄養分析、出版、ウイダーハイテクラボ、セミナー等、ソフトノウハウの開発と事業化に取り組んできたが、新しくウイダートレーニングラボを開設。
これらの事業の総称を森永スポーツ&フィットネスリサーチセンターとして更に内容を充実させる。「トレーニング」、「ニュートリション」、「トリートメント」を総合的に取り入れた理論に基づいて、専門スタッフが実践的なプログラムを指導。

1992年 「ウイダーinドリンク」発売

日本独自商品開発の強化。

アスリート専門用のイメージの強いプロテインパウダーに対し、「おいしく、たのしく、すこやかに」の理念に基づき、一般の日常生活に向けた商品を展開。森永製菓の財産(缶飲料販売のノウハウと販売チャネル)を活用して、1992年に「ウイダーinドリンク」(プロテイン、エネルギー、ビタミンインの3種)をテスト販売(九州地区)。
ジョー・ウイダーと賀来千香子が共演するTVCMも放映した。

1994年 「ウイダーinゼリー」発売

新感覚のゼリー飲料、「ウイダーinゼリー」誕生。

「缶飲料は途中で止められない」「グランドでは捨てる場所に困る」「何か食べた感じのものが欲しい」 「確実にエネルギー補給できる食品がほしい」……。
「ウイダーinドリンク」に寄せられた声がヒントとなり、ゲル化技術を活用した「ゼリー飲料」を開発。
スポーツの前後(や最中)に新しい感覚(=飲む手軽さ+食べる満足感)で摂取できる栄養食品をテーマに、「ウイダーinゼリー」が発売された。
容器には、携帯性に優れた「スパウト付アルミパウチ」を採用。

1995年 「ウイダーinゼリー」の販売ルート拡大。TVCMを投入

「10秒でとれる朝ごはん」。

「ウイダーinゼリー」は、1995年7月に関東圏へ導入。
猛暑もあり、首都圏コンビニエンスストアで爆発的な売上を記録した。
またアドバイザリースタッフ契約を結んだスピードスケートの橋本聖子選手を広告に起用。東急電車の"ステッカー広告"を貼るなど積極的なPR活動を行った。
TVCMを初めて投入したのも、キャッチコピー「10秒でとれる朝ごはん」が生まれたのもこの年。朝食がとれていない現代人に向け「忙しい朝の食事がわり」として「ウイダーinゼリー」を提案した。

1999年 ウイダーロゴ・世界統一マークに

既に世界各国の「ウイダー」はそのロゴマークを新マークに変更をしていた。独自に展開を強化してきた日本ではその対応を行っていなかった。ロゴマークはブランドの顔そのものであり、その変更には慎重を期したのである。しかし、1999年3月、ウイダーのロゴを世界統一マークに変更。その一方で、また、ウイダーinゼリーのキャッチコピーを「10秒チャージ、2時間キープ。」に変更し、イメージキャラクターに木村拓哉を起用するなど、PR戦略の全面リニューアルで展開の更なる加速を図った。

1999年 総合的なスポーツ支援を展開

アスリートからの圧倒的な信頼を得る。

この時期から、あらゆる競技を総合的に支援する環境が整いはじめる。野球、サッカー、ラグビーのみならず、フォーミュラカー、トライアル、ロードバイク、モトクロス、自転車、トライアスロン、サーフィン、ライフセーバー、格闘技など、さまざまな競技への支援(トレーニング指導、栄養指導をセットにした指導)を展開。2007年には、「Fリーグ(フットサル)」のオフィシャルスポンサーとして参加し、選手たちを栄養面でサポートする。また、視聴覚者のための大会をサポートするなど、社会貢献活動にも積極的に取り組みはじめる。

  • ● オートバイ「トライアル世界選手権ウイダー日本グランプリ」「鈴鹿8時間耐久ロードレース」
  • ● 自転車「鈴鹿8時間エンデューロ」「もてぎ7時間エンデューロ」
  • ● トライアスロン「ひわさうみがめトライアスロン」
  • ● サーフィン「ウイダーデフ(視聴覚者)サーフィン大会」
  • ● ライフセービング

2008年 ウイダー日本上陸25周年

25周年。フィギュアの女王とともに。

2008年4月、「ウイダー」ブランドの日本上陸25周年目を迎えるにあたり、フィギュアスケートの浅田真央選手との支援契約を発表。
新たなプロジェクトとして、浅田真央「栄養・トレーニング」サポートプロジェクトを発足させた。
ウイダーは、栄養管理やトレーニング面におけるサポートを行い、浅田真央選手とともに勝利を目指すことになる。

 2008年 太田雄貴選手 入社決定

史上初の男、ウイダーへ。

太田雄貴選手は北京オリンピックフェンシング男子(フルーレ個人)に出場し、日本フェンシング史上初の五輪メダル(銀メダル)を獲得。
ウイダーは、太田雄貴選手が高校在籍中からサポートし、メダル獲得を支えた。
2008年10月、太田選手の森永製菓入社を発表。同年11月より太田選手は、「ウイダー所属のフェンシング選手」かつ「ウイダー・森永製菓株式会社の一員」となった。

2009年 ウイダー事業本部発足

東京・芝浦のトレーニングラボを拠点とし、テニス・錦織選手を始めとするトップアスリート指導を本格化させる。

2013年 ウイダー30周年

ラボを拠点とした活動は、「EMR+プロテイン」という独自の配合を生み出した。これはプロテインパウダーのみならず、inゼリー、inバー、飲料といった、多くのプロテイン製品に応用されている。
日本でウイダーを展開し30年。最初は海外製品を日本流にアレンジすることから始めた活動も、独自に研究・開発を進めるに至っている。

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